フロリダ、楽しすぎ!!
新年度が始まり、木々の緑色が濃くなってきてエネルギーを感じられるこの季節、みなさまいかがお過ごしでしょうか。今回もコラムにお立ち寄りいただきありがとうございます。
フロリダ州ジャクソンヴィルでの生活が楽しくて仕方なかった私ですが、学校が始まって間もなく、怖い思いをしました。ハリケーン・フロイドがフロリダ州を直撃したのです。日本列島を飲み込む大きさのハリケーンでした。まだ知り合いがほとんどいなかった私は、Dr. Smart一家しか頼る人がいませんでしたが、先生たちは海辺にお宅がありましたので、当時飼っておられたペットと共にさっさと避難してしまいました。私はアパートで1人どうして良いかわからず、とりあえず窓ガラスにガムテープを貼って部屋の隅でじっとしていたように記憶しています。その時覚えた単語は evacuation(避難)でした。テレビで何度もこの単語を聞きました。今でもこの単語を聞くと当時のハリケーンのことをよく思い出します。しかし幸いにもハリケーンによる被害は何もなく済みました。
さて、University of North Florida(UNF)では毎週1回自由に演奏を発表する場がありました。私はある時そこでDr. Smartにオーケストラ・パートを弾いていただきラヴェルのト長調のコンチェルトを演奏させてもらいました。以前から弾いてみたかった曲だったのですが、Dr. Smartのクラシックにもジャズにも精通した感覚で伴奏していただき、曲自体がとてもジャズ寄りだったこともあって、その時の演奏はジャズ専攻の友達にとてもウケたのでした。
それからというもの、サックスの友達がクラシックのクラリネット・ソナタを演奏したいとかトロンボーンの友達がクラシックの曲を演奏したいと言っては共演を頼まれるようになりました。サックス奏者は意外と簡単にクラリネットに持ち替えることができると知ったのもこの時でした。もともと室内楽が勉強したかった私としては、ジャズで共演はできなくても相手がクラシックの曲をやりたいというなら共演することができ、友達が増えて喜んだものでした。
友達と言えば、同じ音楽学部の音楽教育学専攻に50代のBrendaという女性が学生として通っていました。Brendaは何かのクラスで一緒になって以来、私をとても可愛がってくれたおばちゃんでした。当時高校生ぐらいだった息子さんと娘さんもいて、旦那さんも含めて私がUNFを離れた後何年間もずっと交流があり、一緒にデイキャンプに行ったり彼女のお家に泊めてもらったり、悩み事を聞いたり聞いてもらったり、たくさん話をしました。こちらはそのBrendaとの写真です。
Brendaからは、大学の同世代の友達からほとんど聞くことのなかった「アメリカ人主婦の話」を聞くことができました。そして彼女の旦那さんは車の整備士さんだったので、私の車の調子が悪くなると助けてくれたりもしました。夏休みなどで日本に帰る間は、Brendaの家のめちゃくちゃ広いお庭で私の車を預かってくれて、その間に旦那さんが車の調子をチェックしてくれたこともありました。Brendaは私にとって第2の母に近い存在で、本当にたくさんお世話になりました。
大学では音楽学部のスタッフの女性たちにも娘のように可愛がっていただきました。冒頭の写真は学部長秘書の女性(左)と事務の女性(右)です。彼女たちは強い南部なまりの英語を話したり、日本人の私でもすぐ指摘したくなるような文法的に間違った英語で話す時があり(!?)、ワイオミングのかなり標準に近い英語に慣れていた私には聞き取りにくかったのですが、段々とそれにも慣れました。また完全に聞き取れなくてもいつも満面の笑顔で対応してくれたので私も家族のように迎え入れてもらった気分で過ごすことができました。
そんな中、UNFでジャズというものに出会い、とにかくできる限りこのジャンルについて知りたいと思った私は、周りのジャズ友達から「ユカリも来ないか?」と声をかけられたIAJE(International Association for Jazz Education、国際ジャズ教育者協会)のConfereneについて行く事にしました!
2000年の1月、ルイジアナ州ニューオーリンズでの開催でした。Conferenceといっても実際のところは「学会発表」とは違って1日中ジャズをあちこちで聴ける音楽祭のようなものでした。ニューオーリンズを訪れたのはこの時が初めてで、有名なマルディグラのお祭りのことを知ったのもこの時でした。ジャズ友達にくっ付いて行った私は、夜のバーボン・ストリートでジャズを聴いたりもしました(もちろんお酒付きで。笑)。
アメリカでは有名人や自分にとって雲の上の存在だと思っている人がフレンドリーに対応してくれてびっくりするということがよくあったのですが、IAJEのConferenceの会場でハービー・ハンコックを見かけ、友達が「Hey, Herbie!」などと声を掛けた時に「Hey, what’s up?」と気さくな返事が返ってきて「わぁー本物のハービー・ハンコックが返事したぁ~!!」と感激したのを覚えています。こちらはそのIAJEに参加した友達との写真です。
お酒も写っていますが(汗)酔い潰れたりしていなくてよかったです(笑)。
このコラムを書かせていただくにあたって、昔の写真を引っ張り出してきては選別しているのですが、ジャクソンヴィル時代の写真はとにかくジャズの友達とお酒を片手に撮った写真がたくさん出てきて、しょっちゅうパーティーに参加していたことが思い出されました(汗)。
もちろん普段は真面目にクラシックのピアノ科の学生として勉強はしていましたが、常に生活の中にジャズがあるこんな生活が楽しくて、私は当初の予定だった2年では帰りたくないと思い始めていました。そしてUniversity of North Florida(UNF)にはクラシックの大学院がないということを知り、何とかしてアメリカに残る方法を考えた結果、進学するしかないという結論に達したのです。次回はこんな生活をしていても大学院に行けるのか!?というその受験について書かせていただきますのでお楽しみに!