失敗の捉え方
今回第6回コラムでは、「失敗の捉え方」について英語&ピアノ習得を通して感じることを書きます。
よく「海外に住めば英語が出来る様になれる!」というのを耳にしますが、回答=Yes and no !だと思います。私は、アメリカ時代によく日本の駐在員やそのお子さんに指導する機会がありましたが、例え5年〜10年住んでも、大人の生徒さんや親御さんの大概が英語が苦手でした。そのため、日本人とばかり固まり、子供の習い事の先生も日本語で探す傾向でしたので、私の仕事でも日本語が重要でした。勿論、子供は学校へ毎日行くので出来る様になり、若ければ若いほど有利な傾向です。(但し、それなりの苦労もあり、その分日本語が怪しくなるのも事実です。特に永住の子供は日本語が疎かになるか、維持するのが困難という問題点があります。)
住む地域によっては、日本人のコミュニティが盛んで英語がそこまで出来なくても不自由なく生活出来ます。でも、地域によってはかなり不便になります。それでも大人の場合、出来ない状態のままというのが大概です。「ええ?折角アメリカにいるのに何故?勿体無い!」と思われるかもしれませんが、私が住んだ4つの都市では珍しくないケースでした。
前回の記事にも書きましたが、私もアメリカで引き篭もり気味になったことがありましたが、恐らく、「失敗の捉え方」にも問題があったとも考えられ、幼少期から「失敗=いけない」という潜在意識が家庭環境や学校教育や課外事業を通して植え付けられ、それが色々な事を学んでいくのに弊害となってると米に住んで日本を徐々に客観視出来るようになりました。
発音や不自然さを心配し過ぎると、アメリカにいても英語を使う機会を避けて生活し勝ちになり、英語は一向に出来る様になりません。一回でも多く失敗を経験する方が良いので、英語を使う機会を逆に増やせば、失敗(恥をかく)機会も増える=成長出来ます。
ピアノの指導でも同じです。アイデンティティが日本ベースの生徒の失敗に対する落胆ぶりを見ると、失敗=いけない事という認識が割合的に多い感じがします。日本のピアノコンクールでも、「間違えてはいけない」のが根底にあるそうで、親や先生が「絶対に間違えちゃダメ」と子供に言う傾向だと複数の先生から聞いてますが、失敗を気にし過ぎると表現まで気が回らず、機械的な演奏になり易いとも言えますし、本番では緊張しますから、ミスタッチはあっても当然とも生徒に指導しています。なので、英語が完璧じゃなくても英語でピアノを指導するのに後めたさは不要です。表現したい、伝えたいという気持ちが大切です。
・・・アメリカのコンペティションや技能検定試験では「間違えた後どう乗り切るか」が評価される傾向でした。州レベルのコンペティションでさえ、生徒が少々ミスをしても勝てたこともありました。・・・その逆で、ミスしなかったのに勝てなかったと文句を言う生徒もたまにいますが、ミスしなければ良い演奏という捉え方をする審査員はアメリカにはそう多くはない印象です。勿論、ミスせずに良い演奏が出来たらいいのですが、ミスを超える演奏というのもあり、それを評価してくれたことに感心したものでした。
アメリカ時代に、これに関するブログ記事を書いてますので興味のある方はお読みください。
ブログ記事:「ミス!?いけない!?」
第6回コラムお読み頂き有難うございました!(写真は、表現力豊かなケンタッキー時代の教え子の日系アメリカ人Karenとのツーショットです。)