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Challenge accepted! 

北の国からこんにちは!

日本は雨の季節ですね。土砂崩れなど水害のニュースをこちらでも聞きます。みなさんどうぞお気を聞けくださいね。

こちらでは小雨の事を「shower 」と言いますが、それ以外には取り立てて特別な言い回しがないので、日本の雨に関係ある表現の多様性に日本語の繊細さを感じます。

梅雨のないカナダでは6月は初夏の爽やかな季節で、庭の薔薇が一斉に咲き始めました。大好きなピオニー(芍薬や牡丹)も満開で、芳香が漂っています。日本のように緩やかに暖かくならないので、自然が活動期に入る5月の終わりから6月は全てが爆発するようで、生命の躍動感に溢れています!


植物の生命力というのは面白いもので、タイミングと環境さえ合っていれば、水と太陽だけでどんどん元気に大きくなっていきます。去年お気に入りの鉢植えのさし芽をしたのですが、春先のまだ寒い時期に試したものはうまく育たずすぐに枯れてしまったのですが、暑くなってきた今くらいの時期に切り戻した蔓を捨てるのが可哀想で土に刺しておいたところ、どんどん大きく元気に育って夏頃にはお友達にお裾分けすることができました!いくつか残った物もちゃんと冬を越せたのは花がついています。

面白いですね。


これは植物に限ったことではなく、あらゆる生命体には成長の順番があって、正しい環境にいれば自然の法則に沿ってちゃんと成長するということなのです。

お子さんのいる方はきっと誰に言われなくても体感でわかることですね。何もしなくても赤ちゃんは寝返りを打ってハイハイを始め、そしてやがて立ち上がって歩き始める。

毎日一緒にいると小さな違いは分かりにくいかもしれませんが、私のように週に一度会うだけの関係だと時系列に少しずつ変わっていくのが見えます。

昨今はネットの進化で国境を感じる時間軸が完全に崩れているせいか、私たちの人間としての時間サイクルの基軸が揺らいでいるような気がします。

〇〇歳にはこれが出来るべき

それが特出していると優秀とみなされてしまう。

個人差や環境の違いは大きいと思いますが、人間の成長の自然な過程を故意に変更するような介入は、長期的に見てあまり良い影響を子供に与えないのが真実です。これは私自身の経験(臨床)からも言えることですが、ここずっと勉強を続けている脳科学と発達の観点から見ても疑いの余地のないことなのです。

例えば太鼓を叩くリズムの練習をしていた時、初めての時はとにかく叩く!面白いから両手でバンバン、もう殴る勢い!飽きるまでやったら次の週は叩きすぎるとうるさいらしく、言わなくても片手で優しく叩き始めます。力のコントロール、ですね。そうするとそのうち叩く速度が一定にできるようになってきて、叩く回数を真似できるようになります。

私は何も言ってないのです。ただ様子を見ながらちょこっと変えていくだけ。

1ヶ月くらいかかりますが(週一なのでね)、子供は遊んでいるうちに育っているのです。そして楽しいから忘れない!

ここで問題は保護者の方たちの反応です。

リズムを体感して学ぶのはピアノを弾く前に1番大切なのですが、これが結びつかないと「うちの子は太鼓ばっかり叩いてる」になっちゃうんですね。少しずつ積み上げていく変化が見えにくい。お家でも壁とかおもちゃとか叩いてるかもしれませんからね。私たち忙しすぎて、ゆっくり観察してる余裕がないのです。これはもうね、どう言っても仕方なかったりします。働いて、家事して、子育て。みんな一杯一杯なんです。

それに加えて外から聞こえてくる騒音。2歳でバイオリン。3歳児がトルコ行進曲。ネット上は神童が氾濫しています。そして発達障害。ちょっと違うと不安になってしまうんですね。

これはきっと人間の生活があまりにも自然からかけ離れてしまったからでしょうか。自分で目指して「行く」事をしないと、自然が周りにない。

自然は急がないし、順序を間違えない。その感覚を体感することなく過ごすと、足場がなくなって疑問が解決できなくなってしまうのでしょうね。

私達が週一度しか会わないお子さんにできることは限られていますが、

それでも家族の輪の中の外にいる大人としてお手伝いできることはあると思います。


色々違う生徒さんの成長を見守ってきていろんな驚きがありましたが、

今日は最近まさに驚愕した嬉しい出来事があったので、それをシェアしましょうね。

もう一年半ほど教えている生徒さんで、私のところのこたときはペッツォルトのメヌエットぐらいのところでした。ところが譜読みがとても苦手。音名を書き入れないと弾けない、というわけではないのですが、慣れて覚えてしまうまで毎回初見のような弾き方なのですね。

こちらの試験システムを受けたがっていたので、譜読みの改善から取り組んだのですが一年過ぎてもほぼ変化なし。途方に暮れて譜読みを諦め、まず教え方を変えました。それから音名をアルファベットからドレミに変更して、少しずつ良くなってきたのですが、それでもまだ進みません。

これは試験制度のカリキュラムにもよるのですが、こちらでは演奏だけでなく日本でソルフェージュと呼ばれる分野も非常に重視されるシステムになっています。

問題は、すぐに出来ることとなかなか出来ないことが皆それぞれ違うこと。そしてそれを無理やり伸ばそうとしても、その時期に達していなければ時間だけが浪費されてしまうこと。体と同じですね。何処かを楽にするための代償として、他のところに負荷がかかる。無理のあるピアノテクニックで負傷してしまうのと同じです。一度全てを平らにして、体の仕組みから見直さないと、完治しない。

特に最近ここが原因で足止めを食ってしまう生徒さんをたくさん見かけようになっていたので、この生徒さんは中学生ということもあって、そのお話をよくしていました。

ある時、「どうしても弾いてみたい夢の曲(to die for)ってある?それやってみない?」と聞いてみたのです。驚き顔で私を見ながら躊躇いがちに「ショパンのノクターン」って。

普通ならその時点でまだ数年先の曲だったのですが、出来るところだけ学ぶこともできます。だからやってみようか?と提案して楽譜を渡しました。(著作権の切れた版は、オンライン上にたくさんありますよ)

そして少しずつやっていく心積もりだったのですが、最初のレッスンの後クリスマス休暇に入り再開した時の驚きと言ったら!1/3程の譜読みを自分で済ませ、スラスラと弾くではないですか!

まだ見たことのないpolyrhythm や装飾音(ornamentation)がわんさとある曲なので、そこを一緒にやって、これが割と時間をとったのですが、弾き方がわからない(一声部だけ音を伸ばしておくなど、ですね)箇所を少しずつやりながら、春休み明けの4月には完成しました。その後他のものをやりたいと言うので、今度はサティのジムノペディを始めたのですが、これは2週間で終わってしまいました!

この生徒さんのレッスンは30分で、学校の行事で抜けたりしてますし、学校がお休み中は旅行に行ったりするので、普通練習しません。

そして最後のblow out が先週。「作曲した」と綺麗にプリントした曲を差し出して、弾いてくれました。ショパンのノクターンとサティを混ぜたような後期印象派のような流れるような美しい曲でした。

この歳になると大抵のことには驚かない私ですが、この時は流石に顎が落ちました。

開口第一声「how did you do that???」笑

これが半年前まで、譜読みに困ってた子なんだろうか?

私の生徒なんだけど、私が教えてるんだけど、私は何も教えてません!

本当に好きなことは、自分で学べるのです。私達のプロとしての仕事は、必要なものを適切なタイミングで差し出して、周りを優しく修正しながら伴走していく。マラソンと一緒ですね。

これが学びの本質だと私は信じています。

さて、この生徒さんは突然別世界へと飛び立ったので、私は大急ぎで荷物をまとめながら横を走っています。作曲に必要な楽典の基礎を与えながら、弾く腕の方もどんどん引き上げて行きたいですね。


このフューシャピンクの可憐な薔薇は、クライミング・ローズなので、誘引してあげるとどんどん育ちます、最近の突風で横にあるペルゴラから落っこちちゃった枝にも花がついていて、このままでもそれもまた綺麗だなぁ、と思いながら眺めています。でも持ち上げたらもっと元気に育つんですよね。放っておくと少しずつ元気がなくなって枯れてしまいます。剪定するならそれでもいいのですが、ここでどうするか、これが教える人の大切な役目ですね!

それでは、また来月お会いしましょう!

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