コラム一覧へ

英語との出会い

皆さまこんにちは!村上ゆかりと申します。

「英語でピアノ」のコーディネーター、渋谷かおり先生からコラムを書くという人生初のオファーをいただき(驚!)、私の経験がこのサイトを訪れてくださった方々にとって少しでもお役に立てるならと恐れ多くもお引き受けしました。

タイトルにありますように、このコラムでは英語と何も縁がなかったフツーのサラリーマン家庭の子(私)がアメリカにピアノ留学を果たし、学位を取って州立大学の教員として仕事ができるようになるまで、また、留学中や在職中の英語にまつわるエピソードなどを中心に、ピアノと英語が私に与えてくれた世界について書いていきたいと思います。これからお付き合いをよろしくお願いいたします!

まず初めに、アメリカへのピアノ留学に必要なものは何だと思いますか?

ピアノの演奏技術?それとも経済力?

もちろんどちらもある方が良いに越したことはありません。でも一番必要なのはどちらでもないと私は思っています。

なぜかというと、(少し乱暴な言い方ですが)ピアノの演奏技術は日本である程度の訓練を受けた小学校高学年ぐらいのレベルでもアメリカの大学に入学することは可能だからです。

また、経済力に関して言えば、授業料は全額または一部免除をしてもらえる場合もありますし、返済義務のない給付型の奨学金もたくさん用意されています。ですから、めちゃくちゃお金がかかる、というほどでもありません。実際のところ私もほとんど授業料を払ったことはありません!

それよりも大事なのは「アメリカに行きたいという気持ち」だと私は思っています。アメリカは、そういう気持ちを持ってやってきた人を必ず受け入れてくれる国です。そして困った時は必ず誰かが助けてくれる国です。

前置きが長くなりましたが、私の英語との出会いからお話しさせてください。それは中学1年生になる年の4月1日(春休み中)でした。アイロンがけをしながら音楽を聴くのが好きだった私は、本当にたまたま、その日に限ってC DやレコードではなくA Mラジオをつけてアイロンがけをしていたのです。そこから流れてきたのはN H Kの「基礎英語」。その年度の第1回目の放送でした。

Hi! I’m Tom. How are you?

I’m fine, thank you. And you?

こんな感じの誰もが英語を学ぶときに初めに覚えるフレーズだったと記憶しています。これを聞いて、私は「何これ?楽しそう!」と思ってしまったのです。これが英語との出会い、アメリカへの憧れが芽生えた瞬間でした。

当時は中学1年生から英語が学校の教科に加わるという時代だったので、それまでは英語と無縁でしたが「春休みが終わって中学生になったら英語という勉強が始まるらしい」という事で少しは興味があったのでしょう。

とにかくこの20分の番組が楽しいと思ってしまった私は、すぐ母に頼んでテキストを買ってもらいました。それから毎月、300円ぐらいのテキストを買ってもらい、一人でずーっとラジオに向かってぶつぶつ言いながら約11年間勉強を続けました。

誰にも強制されませんでしたがなぜか楽しかったのです。中1の時は「基礎英語」、中2で「続·基礎英語」、中3で「上級·基礎英語」、さらに高校では「英会話」、大学に入ってから日本を飛び出すまでは「ビジネス英会話」、というふうに自分で勝手にレベルを変えていきました。

今ならラジオもインターネットでいつでも聴けますが、その当時は番組が聴けない日はカセットテープに予約録音して、週末にまとめて聴いたりしていました。

なぜこんなに続いたかというと、これがラジオだったからだと思うのです。ラジオは相手の表情も口の動きも見えません。だから、何と言っているのかわからないと自然に集中して聴こうとします。それが私の耳の訓練になっていました。また、テレビの英語番組だと弟や妹とチャンネルの取り合いになっていた可能性もあります。家族の誰も邪魔しないAMラジオという媒体だったのが私にとってはラッキーだったのです。

とにかく英語に興味を持った私はラジオの中の先生方と毎日勉強し、中学のとき市内のスピーチコンテスト(暗唱部門)に出場して金賞をもらいました。ピアノのコンクールで一度もこんな賞をいただけたことがなかった私には自信になりました。そして高校進学を前に、英語科に進むか、音楽科に進むかを迷いました。

しかし、「英語はコミュニケーションの道具であって目的ではない。英文学者とか通訳·翻訳者になるのでなければ、もっと小さい時から続けているピアノを活かした方が良いのでは」と父にアドバイスされて考えました。

「英語は中学に入ってからの3年だけでここまで来たしこれからも自分で続けていける、ピアノは3歳半からやっていて音楽科に入れるかもしれないレベルまで来た、それなら音楽科に挑戦するべきなのでは」という結論に至ったのです。

そして兵庫県立西宮高校音楽科に進学し、その後もピアノ専攻で京都市立芸術大学にギリギリ?合格。ピアノ弾きとしてはまあまあのプロフィールになってきたのでした(笑)

ところが、ゲーダイというとことは基本的に就職のお世話をしてくれません。一般教養の授業も少ないので世間的には「ちょっとズレた」人が多いわけで(芸大出身の方ごめんなさい!)、私も就職活動をすることなく大学卒業後もれなく「フリーのピアニスト」という名のフリーターになってしまったわけです。

次回はこのフリーター生活からアメリカの大地を踏むことになるまでどういう準備をしていたのかなどをお話ししたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

コメントする