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【最終回】先生として、子どもたちや音楽に関わる方々と共有したい2つの経験

こんにちは、ファーグソンかつみです。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。当方は、なかなか増えない生徒数ではありますが、クラシック音楽のレッスンとジャズ演奏の日々と多言語環境で過ごしています。
このパンデミックの間にオンラインレッスンのみになってしまったのですが、しばらくして一部は対面クラスをまた再開することにしました。
それに際し、スケジュール調整が難しくなる事と、自身の体力的な問題がある事、それらが理由となりますが、こちらのコラム執筆の方は今回で最終回とさせていただきます。主宰の渋谷かおり先生や、ニューヨークからの発信のとても大きなお役目を引き受けてくださった霧生ナブ子先生、コラム筆者の先生方ならびに会員の皆さま、長い間ありがとうございました🌟
レッスンのお話に戻ります。オンラインレッスンでも、SyncroomやSonobus jamkazamなどのソフトウェアを導入し、アンサンブルもできるように音の環境を整えて頂くこと、かなりこの1年で子どもたちもスキルアップした手応えを感じています。

春はNYSSMA というニューヨーク州の音楽グレード試験が今年は録画審査で行われるので、そのレゴディングやビデオ撮影の仕方等も色々と伝える必要がありました。
12歳〜13歳のピアノの生徒さんたちは、リストの「愛の夢」や、ショパンエチュードも数曲弾きこなすようになりました。何故か皆、「別れの曲」や「黒鍵のエチュード」など、同じような名曲を選んでしまいます!聴いていてほんとうに癒やされます。
なぜこれらの名曲が人々に愛され続けるのか、曲の構成だとかトリックは?そんな議論もよくレッスンでは行います。教えるのではなくて、ヒントを投げかけながら考えてもらうようにしています。私自身の意見と、恩師や同僚から引き継いだ考え方とは、分けて話をしています。他者の意見を、まるで自分が思いついたもののように言わないようにしています。
ヴァイオリンの子どもたちは、自分でヴァイオリンのチューニングをするという、大変難しい事にもずいぶん慣れてきたようです。
先生が手助け出来ることが少なくなると、自分でやろうとする、それに対して感動したこと、驚いたこと、凄いなと思ったことを、なるべくこちらも口に出して伝えながら、オンラインのクラスを続けてきました。
たまたま目にした日本語で発信されているYou Tubeで、「絶対に習ってはいけない先生」というタイトルのビデオをいくつか見てみると、私のように「自分で考えましょう」という先生は、それらのビデオによくリストアップされています。私は、絶対に習ってはいけない先生のようです。笑

しかし実際、ここニューヨークの生徒さんたちは自分で考えましょう!という呼びかけを楽しんでます。私がどんな彼らの「考えたこと」もネガティブにクリティサイズしないからです。「自分で考えましょう」というのは、当たり前の優しさです。相手が考えるチャンス、意見するチャンスを勝手に奪わない。これはたとえ子どもたち相手であっても、相手への礼儀だと常々思います。これらの点はまさしく日米の文化慣習の違いなのかもしれません。

英語に関しては、もともと子どもたちは英語を使わねばならない環境で日々暮らしているので、レッスンの時には日本から移住されているご家庭の生徒さんにつきましては、日本語を使う事が殆どです。これはずいぶん前の記事にも書いたかも知れません。日本の童謡などに触れることの方が非日常的なので、喜ばれ、求められれる事も度々あります。
器楽演奏の際は、言語の違いの壁を超えて音で表現するため、伝えたいことを特定の国の言葉で言語化しなくても良いという大きなメリットがあります。これは、普段からいくつかの言語のコミュニケーションを必要とされる日常の中では、大変な癒やしになっている事も、子どもたちの演奏を聴いていて感じます。

私自身、子供時代は自分の気持ちを言語化するのがすごく苦手でした。今も言語化する作業にはすごくエネルギーが必要で、あまり得意ではありません。だからこそ器楽の練習には夢中になれたのかも知れません。
現代の子たちは国際化社会に於いて「自分の気持ちは言語化する事が出来ないといけない。少なくとも数カ国語で出来ないと!」というプレッシャーみたいなものを背負っていると感じることもあります。「言語化することもできる、言語化しないこともできる」というのが、そもそも個々の個性へのリスペクトであるのに。

こんな子供たちへのプレッシャーは、私は口先だけのコミュニケーションスキルを構築してしまう恐れもあり、少し問題だとさえ思ってます。これは、最近英語でピアノさんのビデオ編集担当ゆうきくんのお母さま、なまず美紀さんからの言葉ですが「言語化はしたい時にすれば良い。ある時期に出来なくても良い。」と。こんな余裕をもって相手に接することは必要ですよね。

音楽そのものが、1つの言語のような存在であることができること、この点は、音楽が人類にとってのものすごく大きな遺産であると言える理由だということ、世界中の多くの人がそれに共感してるからこそ、今日まで無くなることなく続いているのでしょう。

音楽の持つ言葉のリズムや抑揚はどれも素晴らしくて、英語はその沢山の言語の中の1つ。私たちは生きている間に出会う色んな言語にリスペクトを感じながら、自分たちの言語である日本語も多様性の1つとして大切にしながら、音楽を奏でていく。音楽を通して、そんな素敵なことを学び続けるチャンスを得た私たちはほんとうに幸運で恵めれていると思います。

言葉にならないものも、メロディに代えて奏でる事であればできた。
表現しにくいことも、メロディが付いたら言語化できることもできた。
私自身、子どもたちや音楽に関わる方々と共有したい経験はこの2つです。

この回で最後になりますが、皆さま大変お世話になりました🌟
お読みくださりありがとうございました。
ファーグソンかつみ
★写真はメトロポリタン美術館「コラム」がまん中にそびえ立っているところです。コラムって、古代ギリシャ・ローマの建築物に見られる石の円柱のこと。計37本、英語でピアノさんに建てさせていただき、ありがとうございました。

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